信濃毎日新聞社に、主筆・桐生悠々が使ったらしいという古ぼけた大型の机が残っている。悠々がこの机に向かって信毎の社説を書いていたであろうころ、日本には表現の自由はなかった。だから、真の愛国の信念に従って行動するには、職を賭し、命をかける以外にない。
悠々はそうした。「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」が軍を激怒させ、彼は職を失って長野を去った。昭和八年のことである。
■初心に帰れ
いま、新聞記者は、法に触れない限り、道義にもとることのない限り、何を書いてもいい。失職することも、命を取られることもない。表現の自由を保障した憲法二十一条のおかげである。
ありがたいことだ、ぜひ守り抜こうと思う。その一方で、生命も職業も生活も保障された結果、新聞人としての緊張感に欠けることはなかったか。己を振り返って、そんなことも考える。
新聞離れが進んでいる。世界でトップ級の新聞愛好国であることに変わりはないが、若い世代に加えて、中年層までが新聞から離れる兆候が出てきた。
新聞だけがメディアではなくなった。忙しくて、人々がゆっくり新聞をめくる余裕がなくなった。そんな事情はあるだろう。しかし責任の大半は、やはり新聞が負わなければならない。
権力と正面から向き合っているか。書くことと行うことは一致している、と明言できるか。読者あっての新聞、ということを本気で信じているか。そして、記者になったときの、あの、みずみずしい初心を覚えているか。
中央紙にいた私に、最近の不祥事を他人事のように語る資格はない。痛感するのは、先端のネジががたつくのを放置しておくと、中間のネジが緩み、ついには構造そのものが壊れる、ということだ。それを避けるには、組織全体に責任感と緊張感のネットワークを張り巡らせるしかない。
その意味では新聞も他企業も同じだ。ただ、新聞に格段の責任と緊張が求められるのは、情報を扱う仕事だからである。また、人々の知る権利に奉仕するため、取材にあたって、いくつかの特権を与えられているからである。
より正確で、より人間味あふれる記事を書こうとすれば、記者は猟犬にならざるを得ない。繰り返し、しつこく、ねばっこく。
当事者はそれを好まない。そっとしておいて。人権を、プライバシーを、侵さないで。何の権利があって、あなた方は。
そこへ権力が介入してくる。そう、何より人権だ。メディアが悪い。法律で規制しよう。
メディアは勘違いした。いい報道のためなら少しぐらいの行き過ぎは許される、と。こうして「娘は二度殺された。最初は犯人に、次はマスコミに」と言わせる事態となった。そこでは、誰のための報道か、が忘れられていた。
その結果、読者・権力・新聞の関係に変化が起きている。荒っぽく言うなら、一貫して新聞を背後から支えてきた読者が、こんどは権力と一緒に新聞の「横暴」を抑えようとしている。
■人権を盾に
これは、読者・新聞双方にとって不幸なことである。
人権擁護を名目に、行政手続きだけで新聞を取り締まることができる場合を想像してほしい。
役所や政治家など権力側に都合の悪い情報が、正確に、公正に私たちに伝わるだろうか。そういう情報抜きに正しい選挙ができるだろうか。患者の人権を盾に、医療行政のミスにかかわる情報が隠されることはないだろうか。
確かに、新聞を含めメディアが人権やプライバシーに敏感だったとは言えない。集団的過熱取材を放置したために、どれほど多くの読者を怒らせたことか。権力側に付け入るすきを与えた責任の一端は新聞にある。
だが、読者と新聞が角突き合わせていいことは一つもない。新聞は、個人の私的な人権にもっともっと敏感になること。読者は、人権の名の下に表現の自由を制限しようとする勢力を抑えること。この二つが必要ではないか。
新聞が生き残れるとすれば、それは「読者との共生」に成功したときだけである。どちらも相手を必要とする関係。そのためには、まず新聞が責任感と緊張感を取り戻すことが先決であろう。
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