Welcome to My Site!

ホーム 音楽の部屋 読書の部屋 写真の部屋 物置部屋


新聞の切抜きから
       3ページ


 辺見 庸
   2001/01/08
  ・広がりゆく「虚」の風景
   2002/08/04
  ・今、個人の魂を大事に
   2005/01/03
  ・戦後60年と「新たな戦前」
   2005/12/16
  ・「内面貧弱の現代」に告ぐ
   2006/01/05
  ・人の座標は・・・ @
   2006/01/06
  ・人の座標は・・・ A
   2006/01/07
  ・人の座標は・・・ B
   2006/01/08
  ・人の座標は・・・ C



 信濃毎日新聞より
   2006/01/22
  ・地方に生きる価値とは













Scrapbook


≪前のページへ  3ページ  次のページへ≫


辺見 庸


 2001年(平成13年)1月8日
【信濃毎日新聞「未来への発想」より抜粋】 

 広がりゆく「虚」の風景
   弱々しい「個」に立ち返る

 二十世紀の末から、現象の本質が見えなくなってきた。「虚」の風景が社会の全体に広がってきている。
 例えば世界のモノを伴う貿易総量は一日ざっと百五十億jだが、モノを伴わず取引されるお金はその百倍を超すといわれる。キーボード・オペレーションで資金を移動させて巨額の利ざやを稼ぐ動きが、実体経済を食い破リつつある。つまり「虚」が実を制覇しつつあるといっていい。
 それは人間の精神にも及んできている。バーチャルなものがリアリティーに取って代わり、IT革命が虚の拡大に拍車を掛けている。
 時代の閉塞(へいそく)感の理由には、モラルや人倫の根源の在りかが見えなくなったことがある。学校教育も、価値の本体を見失ったままだから、現場の荒廃は今後も進むでしょう。

 ■資本主義の病状
 二十世紀は資本主義が、想像もできなかった形にらん熟した。ヘッジファンドがもてはやされ、投機が市民権を得て、人々が投資に血道をあげる光景は、しかし、資本主義の病状がかつてないばど危険な段階に入っていることを物語っていはしないでしょうか。
 情報も以前の数万倍にまで増え、人はインターネットの端末にしがみつき、世界から取り残される不安に日夜おびえている。グローバル化しつつある巨大システム自体が、人を不安にさせるんです。
 一方で社会主義という対抗軸は挫折し、それに代わる人間のモラルパターンはできていない。冷戦時の大枠での価値観がなくなり、政党をはじめ旧来型の器が音を立てて解体し、人は何をよりどころにすればいいか分からなくなっている。
 そこで失われていったものは何か。僕はリアルさの感覚であり、人間の鮮やかな身体感覚だと思う。
 資本の蓄積を自己目的にした虚構の経済が、額に汗して働くリアルな労働の意味を空洞化している。メディアも、商品として売れる話題を、一九九九年に成立したガイドライン法のような重要な問題に優先する結果、世の中の実際の手触りがどんなに不気味かということを覆い隠してしまう。

  ■明るい暗がり
 人間もネットを媒介につながる中で、人の汗や体臭への違和感に耐えられず、体臭を薬で消そうとするなど、人間本来のリアリティーを殺そうとしている。
 さらに僕は歴史の記憶のことを考えるんです。周辺国の従軍慰安婦が戦時中の被害を言い続けるのは、肉体化された記憶からで、それは何十年たっても消えることはない。日本は、戦争の記憶をたぐり寄せ吟味するどころか歴史修正主義的にそれを美化し、記憶そのものを虚構化しつつある。
 一方で、経済のグローバル化により、この国のナショナルな価値観が薄まることを恐れる旧来型の人々は、にわかに「国体明徴」的な動きを強め、九九年のガイドライン法、国旗国歌法などを一気に成立させたが、これらへの抵抗の水位は戦後最低レベルでした。
 だいたい食料からイヌのえさまで外国に作らせる、世界に冠たる消費国家で、人倫や愛国を語るのがチャンチャラおかしい。
 そして、豊かといわれ飢え死にする人もいないのに、人の心性は戦後どの時期より暗い。現象の表面的な明るさの向こうに漂う不安を、僕は「不気味に明るい暗がり」と呼んでいる。

  ■新しい精神
 価値観の混迷は今後、数十年は続くのでは。二十世紀の挫折を踏まえたどんなイデーが出るか、分からない。ただ世界では、環境破壊や人権などへの関心から、旧左翼とは違う素朴な「資本主義反対」を唱える若者が出てきている。らん熟した資本主義への危機感が、ナイーブな若者たちに広がっているのだと思う。
 旧来型のシステムが亀裂を生じる中、僕たちはそこから離脱し個に立ち返るべきだ。システムに異を唱えずルーティンに埋没した結果、現代の異様な風景が立ち上がってきた。自分をさらけ出し、弱々しくおびえた目つきをした個に戻ることで、時代を超える新しい精神の回路が生まれる。
 歴史は突然飛ぶものだ。世界史の大きな曲折を事前に予測できた例は少ない。ただ、何か危ないマグマが見えないところで膨らんでいるという漠然とした予感がある。だからこそ今、原寸大の個人として生き、発想することが必要と思う。

▲トップにもどる 


 2002年(平成14年)8月4日
【信濃毎日新聞「21世紀を生きる テロ・戦争・世界」より抜粋】 

 内面の侵略
   今、個人の魂を大事に

 ジャーナリスト出身の芥川賞作家、辺見庸氏は、米中枢同時テロ後の危うい時代状況に果敢な発言を続ける論客の一人。空爆作戦下のアフガニスタンを取材し、さらに米国で言語学者ノーム・チョムスキー氏と対談するなど、「テロ後」をめぐる考察を重ねてきた同氏は、「テロ」や「正義」の意味合いが米国の論理にじゅうりんされていると力説。その点では個々人の価値観が問われる「内面」の問題と指摘するとともに、「意味の収奪」に対置した言葉の再定義が迫られていると訴えた。(聞き手 共同=山崎博康)

 ■9・11以後の変わりようをどう見ているか。
 「9・11というのは、いわば毒性の強い試薬だった。それが二十世紀のすべてを象徴する米国の中枢に浴びせかけられた。だからこそ、今までの世界の虚像、幻想がはぎ取られたと言える」
 「露出したのは、欧米民主主義の意外な暴力性、国民国家の偽善性、人間の無慈悲、知の無力だ。もっとがくぜんとするのは、とうの昔に終えんしたと思っていた植民地主義、あるいは近世や中世という過去の闇が全く払しょくされていないことだ。歴史の古層が実は相当、力を持っていた」
 「もう一つは、ブッシュ米政権による意味の強要、意味の収奪ということ。善悪とか、文明や野蛮とか、神や正義とか、世界の存在の根源にかかわる意味を自己流に統制し始めた。圧倒的な武力を背景にして、米国が定義した意味を共有するよう世界に迫っている」
 「意想外なことに、ブッシュの驚くべき反知性的な定義が力を持ち、世界は事実上、それによって制圧されている。9・11がもたらした状況は、だから、深く人の内面にかかわっている。意味の強制、独占ということでは、われわれの内面世界がかなり侵略されていると言ってもよい。わたしがいきり立って米国の空爆作戦などに反対しているのは、そのためだ」

 ■「意味の収奪」で象徴的なのは「正義」という言葉だと思うが。
 「ブッシュは言葉を深く吟味していない。米国の存在、米国の様式、米国の力、米国の発想…それがブッシュの正義なのだ。これらを世界に受容させていく。ここに戦争行動の主たる動機がある」
 「経済発達国はブッシュ流の正義に内心まゆをひそめ、舌打ちしているのに、事実上は抵抗しようとしていない。むしろ、暴力的に協調しつつある。グローバル化の利害が一致するからだろう。だから、列強が弱小国を撃つ異様な戦争の構造が世界的に拡大している。メディアがこれに同調してはならない。メディアは米国による世界の定義を覆さなければならない」

 ■非対称性で浮かび上がるものは。
 「世界は一度だって対称的であったためしはない。それは南北問題、階級格差、貧富の差という形で言われた。光も水も資本も偏在する。加えて注目しなければならないのは、情報の非対称だ。過剰に発信される情報がある一方で、全く語られない貧困国もあり、それが非在空間にされてしまう」
 「9・11でアフガニスタンが脚光を浴びて絶対的な貧困が明らかになったが、国際社会はまたぞろ忘れ始めている。世界中にあまたあるこうした非在空間の闇が、日夜、列強への復しゅう心を育てている」

 ■対テロ戦では英米に植民地主義復活を唱える論調も表れている。
 「9・11以降の時流に乗り、保守主義者が力をつけている。新植民地主義的な論理で世界を再統一しないとテロはなくならないなどと学者がまことしやかに書き、それを米国の有力紙が掲載したりする。かつてなかったことだ。反テロ同盟を形成し始めてから、保守派論調が下支えする戦争構造ができつつある。今は、広い意味では戦時下だと思う」

 ■米国には核軍拡に突き進む危うさがある。
 「戦術核が今使われていないのは、単なる偶然にすぎない。米国はアフガンで事実上は戦術核を使ったも同然だ。デージーカッター(特殊大型爆弾BLUー82)とかサーモバリック爆弾とか。一番恐ろしいのは、冷戦型の抑止力としてではなく、むしろ有効であれば積極的に核を使おうという今の米国の政権の考え方だ。国際社会に与える影響は極めて大きい。9・11以後の米国の対応が、もともと危うかった戦争抑止の梁(はリ)を取り払ってしまった」

 ■テロの根源についてはどう考えるか。
 「あなたのいうテロの概念は米国的な定義に引きずられていると思う。わたしはテロという普遍概念は存在しないと思っている。東ティモールの独立運動も反ナチ闘争もテロといわれた。米国に反抗するのはすべてテロだとされる。そういう(点を踏まえた)定義のし直しがメディアには必要だという気がする」
 「反国家テロには歴史的な正当性があるものも少なくない。マスコミではそういう検証が全然なされていない。例えば、日本が強引にでっちあげた満州国なる国への武装闘争は、テロと呼ばれても正当性があるのではないか」

 ■「民族」や「国家」を超える生き方を模索する識者もいる。二十一世紀の生き方として示唆するものはあるだろうか。
 「怒濤(どとう)のようなグローバル化の流れの中で、逆に世界中で国家主義的な考えが台頭してきている。米国型にすべて地ならししていく力への反作用としての国家意識、自民族優越主義など、古典的共同幻想を求める傾向はむしろ強まっている。グローバル化は決して国境や国家概念を取り払っているわけではない」
 「今大事なのは言葉の力、表現者の力だ。(ポーランド詩人)シンボルスカの詩的世界観は素晴らしいものがある。『どの世代にも二種類の人々がいる。個人としての魂を持つ人と、集団的な魂を持って生まれてくる人がいる』という表現は、政治の言葉で語るよりよほど説得力があると思った。思想の画一化というのは、日本だけではない。地球規模の同時反動化のようなものがあると思う。その中で大事にしなければならないのは個人の魂であり、個人の表現力だ」

 ■既成の政治的枠組みを超える非政府組織(NGO)の役割に期待する発言もある。
 「昨年の主要国首脳会議(ジェノバ・サミット)の際の反グローバル化団体の動きなどは、かつてなくラジカルだった。NGOの一部が世界観を持ち始めた。まだ体系的ではないが、冷戦構造崩壊後の世界に対し、はっきり異議申し立てを始めている」
 「ただ、ある意味で犯罪的だと思うのは、一月のアフガン復興会議でNGOが米国の戦争犯罪を取り上げず、間接的に追認してしまったことだ。NGOは日本の戦争参加や有事法案にもっともっと抵抗すべきだと思う」

 ■日本のかかわり方をどう見ているか。
 「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)寧辺の核施設をめぐる1993年から94年にかけての米朝危機は再検証したほうがいい。その際の米軍の臨戦態勢が結局は周辺事態法や有事関連法案の骨格をつくらせている。米朝危機は必ずまたやってくると思う。日本の有事とは具体的には朝鮮有事なのだ」
 「ずっと中国問題を追ってきたが、極東アジアで一番具体的に発火点となるのは朝鮮半島だろうし、その決定的な局面はそう遠くないうちに起きるのではないか。日米の軍事当局者は恐らく今の北朝鮮政権の崩壊後のことを考えている。そのシミュレーションは彼らにとって焦眉(しょうび)の課題となっている」

 ■メディアの役割についてはどう考えるか。
 「メディアの翼賛化はポイント・オブ・ノーリターン(後戻りがきかない地点)を超えている。有事法制に肯定的なとらえ方をし始めたのは戦後初めてだ。メディアが権力化し、権力がメディア化して、双方が混然一体となリ全体主義構造をつくってしまっている。そこに犯意というものがない。その怖さをつくづく感じる」

▲トップにもどる 


 2005年(平成17年)1月3日
【信濃毎日新聞より抜粋】 

 戦後60年と「新たな戦前」
   過去に学ぶ未来への道標

 歴史というのは、それを深く意識する者の眼前にしか生々しく立ち現れないものだ、と史家はいう。何気(なにげ)ない日常の風景にいち早く変調を読みとること、それが歴史を見る眼だともいわれる。とすれば、区切りのいい周年を歴史の転換点のように語るのは、もっともらしいけれども、かえって怪しい。

 ■過ぎた曲がり角
 数えやすい周年をきっかけにして「時代の趨勢(すうせい)」が論じられるとき、実のところ、時代はつとに曲がり角を曲がっており、論者は決まって趨勢を正当化しようとする。自衛隊派兵やむなし、改憲やむなし、と。さても危なくはないか。
 ちょうど十年前、女優の故左幸子さんと対談した際、彼女がため息混じりに呟(つぶや)いた。「戦後五十周年というとね、私、紀元二千六百年(昭和十五年)のお祭り騒ぎを想い出すのよ」。「えっ?」と私は問い直した。
 一九九五年、マスメディアはこぞって大々的な戦後五十年企画を組み、国会は「不戦決議」を採択したけれども、それらが不戦平和への再出発につながったなどと、いま誰も考えてはいない。
 「神武天皇即位後二千六百年」を政府が国威発揚・挙国一致の年と定めて、全国津々浦々で提灯(ちょうちん)行列などの祝典が組織されたのは一九四〇年、真珠湾攻撃の前年である。滅びへの前奏を人々は勝利の序曲と聞き違えた。
 にしても、戦後五十年と「紀元二千六百年」の情景を並列的に論じるとは、と面食らいもするけれど、左さんによれば「どちらも人々が自分の頭で粛然として考えた結果ではなく、気分で踊った面がある。日本人って何か旗を揚げるとドカーッと大騒ぎして何にも考えないでバーッと行くところがある。だから誰も責任を取らないの」。

 ■戦後「卒業資格」
 いままた戦後六十年。戦後還暦≠セそうだが、私はこの語感を好まない。どこか「戦後からの卒業」といった口吻(こうふん)が感じられるからだ。だが、私たちは戦後からの卒業資格をいったい、いつ、誰から取得したというのだろう。
 この国が戦後を卒業できるのは、戦争の忘却によってでなく、戦争の記憶の継承ー少なくもその営為ーによってだと思うのだが、事態は逆のようだ。「ドカーッと大騒ぎしてバーッと行く」傾向がまったく改まったともいえない。いや、いささか直情の形質は、またぞろぶり返しつつあるようにも見える。
 二〇〇三年十二月、閣議は自衛隊のイラク派遣を決定した。これだけでも驚天動地だが、小泉首相は派遣の根拠として憲法前文を挙げ「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって…」と読み上げてみせたのだから、もはや絶句するほかなかった。
 時ならぬ首相の憲法朗読は前文中で最も重要な前段の文章二十行四百数十字を、恐らくは故意にであろう、そっくリ省略していた。それは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…」という、第九条と響きあうくだりである。
 日米安保条約を改定した故岸信介首相でさえ「自衛隊が日本の領域外に出て行動することは一切許せません」と明言しているのに、イラク派遣を積極推進し、その論拠をあろうことか平和憲法前文に求めていく。「国家としての意思」「日本国民の精神」が問われているとまで首相が言いつのる。
 哀(かな)しむと哀しまざるとにかかわらず、これが戦後六十年の日本の自画像である。戦後の卒業どころか、終戦から時を経るごとに新たな戦前≠ノ近づいている趣さえある。安易な戦後の解消を目論(もくろ)めば目論むほど、逆に戦後の呪縛(じゅばく)に深くはまっていくというパラドクスがここにある。

 ■世論の無風ぶり
 私たちは果たしてどこに行こうとしてるのだろう。いや、どこに赴くべきなのだろうか。進むべき道筋を知るには、これまでの道程を振り返るに如(し)くはないだろう。その伝で仏文学者、渡辺一夫の『敗戦日記』(串田孫一、二宮敬編)や丸山眞男の『自己内対話』は私にとって永遠に色褪(いろあ)せないデータである。
 終戦五ヵ月前、渡辺はいかにも苦しげに記した。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった」。広島への原爆投下一ヵ月前には「どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし」。ポツダム宣言受諾一ヵ月前「ラジオ・新聞は依然我々を欺瞞(ぎまん)し続く」。終戦からわずか二週間後、渡辺はもう憂えている。「進駐軍の記事に、既に『ようこそ』といふやうな筆致が見える。軽薄だ」。戦後の憂欝(ゆううつ)は早くも終戦時に始まり、今日もなお消えない。
 一方、丸山は戦後約十年にして嘆くのである。「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる。テーマは改憲問題」。一九五六年、鳩山首相が平和憲法に否定的考えを表明した時のメディアの弱腰を指したものと思われる。さてそれでは、小泉首相が自衛隊のイラク派遣の根拠を憲法前文に求めた際の、世論の無風ぶりは何と形容すればいいのか。

 戦後生まれが人口の三分の二にもなったそうだ。現在のきな臭さを語ろうにも、戦前、戦中との比較を体験的にできる者は少ない。「ドカーッと大騒ぎしてバーッと行く」性向をかろうじて制してきた憲法も、かってない危機に瀕(ひん)している。寄る辺ない行く末の道標は、この先にでなく、来し方に学ぶことからしか見えてこないだろう。

▲トップにもどる 


 2005年(平成17年)12月16日
【信濃毎日新聞 インタビュー記事より抜粋】 

 「内面貧弱の現代」に告ぐ
   人間は資本に敗れた〜反テロ戦争格好の投資先

 2004年春に脳出血で倒れた体家・辺見庸氏は、1年半余に及ぶリハビリを経て、なお病と闘いながらも執筆活動を続けている。グローバル化する資本、反テロ戦争など時代が抱える問題の意味を聞いた。(聞き手は共同通信編集委員 石山永一郎)

 ■この間、体の不自由などさまざまな葛藤(かっとう)があったと察しています。
 若いころからむちゃをしてきて、これじゃいつかは倒れるなと予感していたので、素直に体を休めればよかったのだけれど、9・11のテロとアフガニスタン、イラク戦争、それらへの日本のかかわりが私に精神的にも肉体的にも体息を許してくれませんでした。
 私はあらゆる機会をとらえて戦争反対と自衛隊派遣の不当性を主張し表現してきた。世界の変調と自分の身体の不調を分けて考え、後者の改善に専念することができずに結局倒れたわけで、決して利口とは言えません。でも、発言を撤回する気はない。世界とどうかかわるかは、あらかじめ定まっているのでなく、個々人の想像力が決めると思う。私は自分の想像力で9・11以降の流れにかつてない危機を感じ、今も感じ続けています。

 ■それはどんな危機で、危機に乗じた「勝者」は誰だったのか。
 ハイデッガーは第二次大戦後間もなく「神性の輝きが世界史から消えた」と語り「世界にとっては基礎づけるものとしての根底が見えなくなった」とまで言い募った。つまり、価値観の底が抜けてしまったと慨嘆した。
 ナチスを支持したハイデッガーは、枢軸国が敗れたからそう言ったのではなく、高い精神的目標のない戦後世界の「堕落」を憤ったのだと思われます。約六十年後の今、社会主義という象徴的価値体系の崩壊とともに理想や夢の消失はさらに進み、価値観の底が抜けたどころか、人としての目的のない世界が完成しつつあるようです。
 こうした今日的世界の勝者とは、ブッシュ米政権や小泉政権、さらには大資本家たちということではなく、「資本」そのものなのであり、敗者は人間ということではないか。これが危機の源であり、世界規模の失意のわけなのです。私は病院のベッドでそんなことを考えていました。

 ■「資本を操るのも人間」という見方もある。
 いや、逆でしょう。人間が資本の幻想に操られている。前世紀の後半にフーコーら先鋭な思想家、哲学者たちは「人間」という概念は時代遅れだとか、「内面の時代」は終わったとか言いだしたが、現在を予感していたのかもしれない。確かに人類史上これほど内面の貧弱な時代はかつてなかったし、資本万能の時代もなかった。ハイデッガーが言った「神性の輝き」を放っているのは、いまやキャピタル(資本)と市場だけです。

 ■昨今のIT長者たちは勝者ではないのか。
 資本に意識を収奪されているという意味合いで、人間的には「敗者」という見方も成り立ちませんかね。彼らは新たな投機先を提示できるかもしれないが、内面の新たな深みや輝きを示すことはできていない。
 マルクス主義の言う自己増殖する価値運動体としての資本は、実際にはファシズムにせよ社会主義にせよ、内面の原理主義的なダイナミズムとなじまず、それらを崩壊させてきた。資本は案外に合理的で民主的な市場を好むが、その運動は究極的には反人間的な結果をもたらす。その文脈では旧型のファシズム以上の人類史上最強のウイルスかもしれない。

 ■新しいファシズム、ナショナリズムを懸念する声も多い。
 資本は法則的に世界化する。グローバリズムは単にブッシュの意思だけではなく、資本の法則だった。皮肉なことに、世界化を支持したネオコン(新保守主義)的指導者たちは自らがこしらえた世界化の風景にアイデンティティーの危機を感じて、自国、自民族優越的な姿勢をますます強めている。小泉政権もそう。ネオ・ファシズム、ネオ・ナショナリズムはそうした流れの中で生じている間欠的なけいれんのようなもので、前世紀のものとは性質を異にしている。

 ■資本の新たな行き場はどこか。
 戦争や自然災害などあらゆる種類のカタストロフィー(破局)ではないか。資本は破局を食い物にして生き延びていく。文学的幻想も交えて言えば、現在のいわゆる反テロ戦争は半永久化するだろうから格好の投資先になる。
 昨今、戦争の民営化とか言われるが、戦争は既に市場化していてマネーの最大の磁場です。偶発的なものを含む局地的核戦争も近未来にはあるかもしれない。その時、人々の嘆きをよそに資本は活性化する。破局がなければ破局を人為的につくらせるのも資本です。前世紀に崩落した価値の根底はいまなお抜け落ちたままで、オルタナティブ(代わるもの)も出し得ていない。「わたしは幸いを望んだのに、災いがきた。光を待っていたのに、闇が来た」(旧約聖書「ヨブ記」)という状態は予見できる将来にわたり続くのかもしれません。

▲トップにもどる 


 2006年(平成18年)1月5日
【信濃毎日新聞「人の座標はどう変わったか」より抜粋】 

    人の座標はどう変わったか @

 生きる重みや光どこに
   〜風景は軽く、ひたすら嘘っぽくなった

 脳出血で倒れて入院していたころ、私と一緒につらいリハビリをしていた五十歳代とおぼしい男がある日突然、声を絞リだすようにして独りごちた。怪しい呂律(ろれつ)だったが「こうまで苦労して生きていく価値があるのかなあ…」と聞こえた。言葉が耳朶(じだ)に残り、いつしか私も同じような独り言を呟(つぶや)くようになった。この世の中で頑張る意味ってあるのかなあ。リハビリのつらさを言いたいのではない。生き続ける労苦が周りの風景とつリ合わなくなってきた、何だか甲斐(かい)がないな、という気分がため息をつかせるのである。

 久方ぶりに復帰した社会は、清貧も精励も美徳ではなくなっただけでなく、どうかすると嘲(あざけ)られかねない。消費と投資がもてはやされ、射幸心を持つも煽(あお)るも罪悪視されなくなった。以前からそうだったと言えばそうだが、人が生きていく価値の座標が目下、劇的に変わりつつあるのは疑いない。
 競馬の天皇賞を二〇〇五年秋、天皇自身が観戦した。眩暈(めまい)がするほど大きな価値観の転換を私は感じた。仰天のわけは、それまで長きにわたリ観戦を控えてきた理由の消失にそのまま重なる。競馬にせよ株にせよ、一獲千金を狙うのはもはや恥でも罪でもなくなりつつある。

 一九八〇年代に、吉本・埴谷論争というのがあった。かつて日米安保闘争に加わった詩人、吉本隆明が、あろうことか、女性誌にコム・デ・ギャルソンを着て登場、作家、埴谷雄高がこれをなじったことに端を発する議論だ。外野は半ば苦笑しながら論争を見守ったものだが、今思うに深刻な意味を秘めていた。資本主義的生活スタイルを否定的に語る埴谷に対し、吉本は高度成長それ自体は悪ではないと主張し、生産と消費の価値はいつの日か逆転するだろう、と予言してみせた。
 幸か不幸か、吉本の予言は当たった。生産、労働、刻苦(こっく)精励、終身雇用、労組、年功序列といった価値が退潮し、消費資本主義ともカジノ資本主義とも呼ばれる資本の全域制覇の時代をいま迎えている。ほぼ同時期に戦後民主主義や憲法九条といった「思想の堤防」が決壊しつつあるのは何も偶然ではない。自明だったことどもの一切がもはや自明性を失ったのだ。

 問題は人が生きることの内奥(ないおう)の重みや光が果たしてここにあるのか、ということだ。他者の悲しみや苦悩はそれとして感じられているのだろうか。風景は満目、発泡スチロールのように軽く、ひたすり嘘(うそ)っぽくなった。たとえば小泉チルドレン≠ネど語るも虚(むな)しい。
 罪ならぬ罪、無意識の倒錯が実は氾濫(はんらん)しているようだ。二〇〇三年のイラク開戦日、日本では大きな反戦デモはなかったけれども、テレビの株番組が高視聴率を記録した。バグダッド猛爆の最中に開催された格闘技戦に数万の観客が押しかけ、テレビの瞬間最高視聴率が30%近くになったりもした。

 犯意も廉恥心(れんちしん)もありはしない。<何かがおかしい>と訝(いぶか)る心の羅針盤が狂ってきてはいないか。戦争、地震、津波、ハリケーンのたびに被災者を慮(おもんばか)るのでなく、株価とにらめっこする人々が増えてきた。その中には、高校生や大学生の「投資家」もいる。インターネットで株価の動向を追うのには長(た)けていても、彼方(かなた)の悲鳴に心を痛める想像力に欠ける。
 おそらく人倫の基本がかつてなく揺らいでいる。旧式の価値体系は資本に食い破られたけれど、新しい価値観が人の魂を安息に導いているとは到底言いがたい。正気だった世界に透明な狂気が入りこんできて、狂気が正気を僣称(せんしょう)するようになった。この世には生きる真の価値があるのか、と訝る内心の声は老若を問わずこれからも減リはしないだろう。「世界の涙の総量は不変だ」。ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」に出てくる台詞(せりふ)だ。昔はうなずいて読んだものだ。今、そうだろうか、と首を傾(かし)げる。世界の涙の総量は増え続けているのかもしれない。

▲トップにもどる 


 2006年(平成18年)1月6日
【信濃毎日新聞「人の座標はどう変わったか」より抜粋】 

    人の座標はどう変わったか A

 止まらぬ「万物の商品化」
   〜人間存在が先細り、資本の使徒として生かされる

 「水は遠き遠き白雲の中より流れ来り…」と綴(つづ)ったのは田山花袋だが、清潔で美味(おい)しい自然水が商品になるなどと作家は一度として想像したことはあるまい。だから、「雪山を崩したる如(ごと)き激湍(げきたん)を作り、更に又(また)静まりて・・・」(「多摩の上流」)と水の流れを美しく描きえたのである。いま、自然水は不可欠の商品であり、場合によっては牛乳や果物ジュース、ワインより高価だ。遠い白雲の中から流れくる、誰のものでもない水は物語を運んだけれど、しかし、商品化された水にロマンを見るのは難しい。

 缶入りの「摩周湖の霧」というのを数年前に買ったことがある。ご愛嬌(あいきょう)とはいえ、売り物の霧にむせんでも詩心はわかなかった。中空に漂う霧のごときものは誰にも帰属しないはずなのにと思っていたら、いまや「空中権」(AIR RIGHTS)なる概念や法律があるらしい。米国では所有する土地に上下の範囲を定め、その空間を排他的に使用し、収益をあげたり売却したりする権利が法律で保証されているという。そうなると、浮き雲に人の世の無常を感じるも何も、上空を見上げるだけでお金を取られそうで興ざめだ。

 水や空中権だけではない。労働、教育、福祉、医療、冠婚葬祭、スポーツ、臓器、遺伝子、精子、血液、セックス、安全、癒やし、障害者・老人介護…金銭に置き換えられないものを身のまわりに見つけるのは至難の業だ。これを「万物の商品化」という。使用価値がありながら交換価値がなかったもの(たとえば海水、日光など)に値をつけていく傾向である。本格化したのは十五世紀以降といわれ、二十一世紀の現在も万物の商品化はとどまることをしらない。それは資本主義の生成、発展、変容に不可欠な営みであり、資本主義が闌(た)ける時は、必ず新たな商品化プロセスがあると言っていいだろう。

 では、物語、理想、夢、正義…といった心的価値系列はどうだろうか。モノの商品化をあらかた終えた現在では、コンテンツ産業の隆盛に見られるとおり、心的価値こそ資本主義の生き残りをかけた商品化のターゲットになっている。いわば意識または無意識の商品化だ。勧善懲悪ものからピカレスク(悪漢)物語まで、映像だろうが活字だろうが、あらゆる種類の物語をオン・デマンドで端末に配信するビジネスはもはや目新しくない。だが、物語は完全商品化することで真正の物語を日々失いつつある。

 何かがおかしい。人が人であること自体に狂いが生じてきている。風景はなべて原質を失って疑似的になリ、言葉という言葉には厭 (いや)らしい鬆(す)が立ち、欲動が体内から湧(わ)くのでなく体外から操作されている感じ。怒りや哀(かな)しみの情動が直接性をなくし、自分と世界が分断されているような不安。万物商品化の世界では人間存在が先細り、人はひたすら資本の使徒としてのみ生かされる。狂いの根本はここにあろう。ここにきて商品化プロセスの負荷が人の無意識を深く蝕(むしば)み始めているのだ。
 だが、途方もない悪人がいて、特定の底意をもって全域商品化を進めているというのではないようだ。万物の商品化はむしろ資本主義の本性であリ法則であって、商品化するものをなくした時、資本主義は死期を迎える。多分、最後の砦(とりで)は人間である。何から何まで売り渡し、終(しま)いには己(おのれ)の実存そのものも商品化するか、もしくは、脱商品化へのきっかけをしゃにむに探すかー大きな選択を迫られている。

 この観点から小泉政治を眺めると面白い。類(たぐ)い希(まれ)な成功の訳は、その劇場型政治にあるのでなく、首相が「改革」という名の万物の商品化を、資本の使徒として無慈悲に進めているからではないのか。そのような政治にあっては本来あるべき無料の公共サービスを民営化すなわち商品化して有料とするのも「改革」と言うらしい。かくして、富者はますます富み、貧者はいよいよ貧することとなる。
 商品化が盛んな時代には、人間がその意思の力で社会を変える運動が沈滞し、資本が人間の意思を代行してしまう。フルク・グレヴィルの戯曲にこんな言葉があった。「病むべく創(つく)られながら、健やかにと命ぜられ…」。現在はそういう時代に見える。この言葉とて何かのCMに使われかねないのだ。

▲トップにもどる 


 2006年(平成18年)1月7日
【信濃毎日新聞「人の座標はどう変わったか」より抜粋】 

    人の座標はどう変わったか B

 死の衝迫 各所で爆発
   〜自殺は21世紀のシンドロームを形成していく

 最近、イラク戦争における死者数を調べていて不思議の感に堪えなかった。英米系非政府組織(NGO)「イラク・ボディー・カウント」の集計によると、二〇〇三年三月の開戦以来イラクではこれまでに最大で約三万一千人の民間人が爆撃や戦闘などに巻き込まれて殺されているという。あまりと言えば理不尽である。
 しかしながら、思えばこの数字、このところの日本の年間自殺者数と大差ない。日本では自殺者が〇四年まで連続七年間三万人を超えた。戦争犠牲者と群れなす自殺者ー。両者は一見、何の関係もなさそうだ。だが、彼方(かなた)の死もこちら側の自死も、ともに二十一世紀世界の不条理を刻んでいるのであり、もっともっと考察されていい。

 まず、戦争と平和の通念を考え直す必要がある。たとえば、一日に八十人もの人々が自死する(未遂者を含めると推定で毎日八百人が何らかの形で自死を試みるという)ような日本が果たして平和と言えるのかどうか。死者数だけで見るなら、これはもう戦争規模である。
 国家が自己の意志を貫徹するために他国との間に行う武力闘争を戦争と言うならば、日本は確かにいま戦時にはない。が、これはあくまでも狭義の判定であり、広義に解釈すれば、日本は目下「精神の内戦」もしくは「内面の戦時下」にあると言えるかもしれない。

 「自殺論」を著した社会学者デュルケームによれば、戦争は自殺の増加に抑制的作用をするのだそうだ。おそらく、国家的昂揚(こうよう)が一般に個人を内攻させないからか、もしくは戦争によりかえって生の価値を実感するからであろう。日本でも真珠湾攻撃直前から戦争ピーク時にかけて自殺件数が減少したという動態研究がある。逆に考えれば、平和には実は人々を自殺へと誘う目には見えない死の花々が咲き競っているということだろうか。
 デュルケームが分類した自殺パターンの一つに「アノミー的自殺」があり、これこそ平時に咲き乱れる死の花が誘引するものだという見方がある。アノミー的自殺とは、社会的規範がないか緩い状態ないしは自由な状況下で起きる自殺現象。自殺大国であるロシアや日本にこれが当てはまるかもしれない。人間とはけだし厄介な生き物である。社会的統制が強ければこれに激しく反発し、緩くなればなったで生きる方向性と実感を失い、陸続(リくぞく)と自死へと向かう人々が現れる。

 自殺は二十一世紀世界の主要なシンドローム(症候群)を形成していくのではないか。そんな予感がする。実際、死の衝迫は各所で爆発している。たとえば、9・11は画時代的テロであったのと同時に、名状の難しい自殺行動でもあった。自己身体と爆弾を一体化する自爆テロという名の自殺行動はイラクだけでなく世界各地に広がりつつある。こうしたテロに対する戦争を発動したブッシュ米大統領の思想と行動自体もまた「自殺的」であるという考え方は、グローバル化に反対する欧州知識人の間では珍しくない。フランスの哲学者ボードリアールは9・11をきっかけにした反テロ戦争の発動を「自らへの宣戦布告」つまり欧米世界の自殺になぞらえている。

 強国の権力の増大は権力破壊への意志(テロ)をひたすら激化させる、とボードリアールは説く。テロの客観的条件を創(つく)ったのはグローバル化など強国のシステムそのものなのだ、とも。反テロ戦争に完全勝利するには、したがって、強国のシステムそのものを打倒せざるを得ない。即(すなわ)ち、自殺的であるというわけだ。ボードリアールは9・11後「それを実行したのは彼らだが、望んだのは私たちのほうなのだ」とまで言いつのった。無論、象徴的意味合いでだが、伏在する破壊の欲動は、膨らむ一方の自死の衝迫と相俟(あいま)って不可視の葛藤(かっとう)の渦を巻き起こしているようだ。
 ソフォクレスの「オイディプス王」には盲目の予言者が王に対し「あなたが捜している下手人、それはあなたご自身ですぞ」と告げる場面がある。もじって、「米国の敵は米国自身ですぞ」と言うのは牽強付会(けんきょうふかい)だろうか。

▲トップにもどる 


 2006年(平成18年)1月8日
【信濃毎日新聞「人の座標はどう変わったか」より抜粋】 

    人の座標はどう変わったか C

 癌の身 問うた改憲反対
   〜楽園には帰れず、前へ前へと進むほかない

 いつかは帰ろう、と心のどこかで念じて生きてきた。過労の果てに脳出血に倒れ、リハビリに励んでいるときも、いつかは戻ろうと願い続けた。どこに?それはわからない。ただ、「人間は帰ることを許されない。実際は人間は帰ることができないからである」という言葉が時折、遠音か幻聴のように聞こえてきた。脳出血で記銘の一部が散らばってしまったので、言葉の主や出典、コンテキストがはっきりしない。それでも、いつかは帰ろうと呟(つぶや)き生きてきたら、ある日、相当進行した癌(がん)であると告げられた。悪い癖で、私は大声で笑った。笑うしかなかった。本連載執筆中の出来事である。

 私はリハビリをやめ、いつかは帰ろうと念じるのもやめにした。逝くしかないな、と独りごちた。そうしたら、おかしなもので突然、先の言葉についての記憶が少し回復した。楽園を追放された人間はそこに帰ることを許されない、という文意であった。楽園に戻れないなら、どこに行けばいいのか。エーリッヒ・フロムの「革命的人間」によれば、「歴史への道」に出ていくしかないのだという。なるほど。私に限らず誰しも、もはや楽園には帰れず、標(しるべ)ない道を倒れるまで前へ前へと進むほかないのである。
 しかし、歩み続けるしかない歴史の道筋は人々の胸にどれほど意識されているのだろうか。とりわけ、重く病んだリ熱い恋におちたリ大枚を賭けたり死に瀕(ひん)したりするとき、人は歴史の曲がり角の曲がり具合をしっかり感じることができるものかどうか。病や恋、お金に心のあらかたを奪われて、戦争も遙(はる)かな他者たちの死も眼中になくなるのではないか。哀(かな)しいかな、それが人間というものではないか。そう訝(いぶか)り、脳出血で倒れたとき、病床でわが身に問うてみた。右手足がひどく麻痺(まひ)しているが、それでも改憲の動きに関心をもつか否か、と。

 私は何より自由に歩けるようになりたかった。右手で箸(はし)を使い、字を書けるようになりたかった。正直、思いの大半はそのことに占められ、改憲の動きも自衛隊派兵についても病前ほどには意識しなくなった。「政治の幅は常に生活の幅より狭い」。ある文学者のアフォリズムを思い出し、わが身に引きつけて吟味してみたりした。個人の生活の重みは、病にせよ恋にせよお金にせよ、政治のそれを圧倒する。そのことを確かめ、しかし、さはさりながら…と口ごもった。半身の麻痺、無感覚に悩みつつも、やはり、歴史が大きくうねり曲がっているのを感じないではいられなかったからだ。
 故岸信介首相はかつて「自衛隊が日本の領域外に出て行動することは一切許せません」と公言している。「海外派兵はいたしません」とも言明した。今、事態はどう変わったか。自衛隊は大挙してイラクに駐留し、憲法九条は、内閣総理大臣を最高指揮権者とする「自衛軍」を保持する、と改定されようとしている。さらに、「国際社会の平和と安全を確保するために」と称し、海外での武力行使も可能にするべく改憲作業が進んでいる。ガラガラと何かが崩れ、政治家の三百代言を指弾する論調は萎(しぼ)むばかりだ。

 もっと麻痺を楽にしたい。右手で字を書きたい。箸を持ちたい。私の願いは切実である。だが、「政治の幅は常に生活の幅より狭い」などと嘯(うそぶ)いてばかりもいられなくなってきた。もう楽園のような平和憲法の精神にたち戻ることができないかもしれないのだ。苛烈(かれつ)な歴史への道に、いま入りつつある。少し焦ってきた。そうしたら、今度は癌だときた。私は再びわが身に問うている。運命の苛烈さについてではない。病がここに至っても改憲に反対するか、と問い直しているのである。不思議だ。脳出血で死に目に遭ったときよりよほどはっきりと「反対だ!」と私は言いたいのである。
 先日、内視鏡の写真を見せられた。赤茶けた腫瘍(しゅよう)がいつの間にか全容を捉(とら)えきれないほど膨れていた。「長く放置していたからですよ」と医師が語った。恐らく、政治の癌もそうなのだ。生活の幅より狭いはずなのに、政治は生活を脅かしつつある。もう帰れない。どこに行くのか、思案のしどころだ。 (「人の座標はどう変わったか」 おわり)

▲トップにもどる 




信濃毎日新聞より


 2006年(平成18年)1月22日
【信濃毎日新聞「政治を読み解く」より抜粋】 

 地方に生きる価値とは
   〜成長生む「心の豊かさ」〜

 二〇〇七年問題という言葉をよく耳にするようになった。一九四七〜四九年生まれの団塊の世代が一線から引退し始める年ということだ。消費、生活のスタイルなどで大きな変化が起こってくることが予想される。一足早く退職した人の中には、年金をもらって出身地の田舎や、外国のリゾート地に生活の場を移している例もみられる。
 各地域は「退職後はわが地方で」と、その良さを売り込むことが大切だ。医療施設や文化施設の充実、あるいはボランティアなど新たな活躍の場を示すといった、幅広い魅力の創造を考えるべきだ。そこにあるのはぜいたくな消費生活とは違った、心の豊かさを工夫するような生活だ。政治はそうした変化に対応する社会の在り方を支えていかなくてはいけない。小泉純一郎首相に欠けていると言われる「国のかたち」とは、そういった種類のことだろう。

 自民党の加藤紘一衆院議員が最近刊行した「新しき日本のかたち」(ダイヤモンド社)には、山形県鶴岡市の出らしい地方に生きる価値を考えた言葉が並んでいる。「地方こそ日本の有るべき姿が宿っていると私には思える。東京を離れ、地方で生き方を見つけ、今の生活もいいものだと自信を持って言える地域づくりが求められている」
 加藤氏は市町村合併が進む中で、「県」という行政区は不要ではないかと言う。地域社会で教育、文化、ボランティアなどの活動を通じ心豊かに暮らすには、何よりも市町村という基礎自治体が重要である。駅伝などでは県別対抗が楽しい。確かにそうしたまとまりが明治以来の「県」にはあるが、国と地域をつなぐ
中間の行政機関としての必要性は薄れていくのではないか。
 ただ基礎自治体が大きくなれば地域としてのまとまりはなくなる。住民一人一人の顔の見当がつくのは五千人くらいだろう。三十万人都市ができても、結局せいぜい数千人規模の地域社会がまとまりとしては大切なように思う。

 どうして地方、田舎に生きることに価値があるのか。そこには日本の伝統的な価値観の基となる自然があるからだろう。それは砂漠でなく荒野でもなく、日本独自の豊かな自然である。
 日本は米国型グローバリゼーションに振り回された十数年を送った。その反省のもとに新たに日本発の成長のエンジンを、多分科学技術や文化に見いだしていかなくてはならない。その原動力は発進基地たる地域コミュニティーにおける人間のきずなにあるのだと思う。(共同通信編集委員 榊原元広)

▲トップにもどる