白山権現本地帝繹十一面観世音當寺(芳壼山妙光寺と言った)に納めありて是れも中頃迄今の地より東の方に堂.ありしよし今は其跡に蔦の木あり近頃迄六部など來りて此蔦の木の旧地にて納経す中頃まで白山両部成りしが吉田家より触有之観音を當寺へ納む
境内藥師は行基の作にして俗に石薬師といひて一日願へば諸願成就といふあらたかなる霊佛なり是も其上は龍勝寺の道にありしを當寺へ引其旧跡を今も薬師堂といふ其頃の前立に薬師並に日光月光の古佛三躰あり當寺薬師堂の内陣に至極麁末の厨子あって其内に三躰あり御丈二尺ばかり有之黄金もてかざりたるとも見へず下は朽ちたる木の如くなり今の厨子は當住の寄附にして荘厳花美なり近頃迄も此麁末なる厨子にて前立の三躰はその表に出しありしとぞ祭りは三月八日(『木の下蔭』による。( )内追記) |