信州伊那に、隠れキシシタンの遺跡? 江戸幕府が開かれる以前の伊那の地は、伊那の東、高遠城の支配するところでした。これは幕末まで続きます。
文禄2(1593)年から慶長5(1600)年までの間、高遠城にあって伊那の地を支配したのは、京極高知です。高知はキリシタン大名で有名な京極高次の弟で自らも文禄4年に、城下に招いた宣教師の下でキリスト教の洗礼を受けヨハネと名乗りました。シュタイシェン著『キリシタン大名』(吉田小五郎譯 昭28年乾元社)には、次の興味ある一節があります。
「高遠(信濃)の大名京極高知の改宗があった。京極氏は佐々木氏を祖とし、頼朝の時代まで溯ることが出来る有力な家柄であった。(中略)1595年(○文禄4年)、同家の総領高次(○霊名不詳敬重7年受洗)は、父祖伝来の領地膳所を治め、弟の高知は高遠の枢要な采邑を得た。彼は同所で兼ねて彼の勧めによって領内に説教しに来てゐた宣教師から洗礼を受け、ジョアンといふ霊名を授けられた。」 城主がキリシタン大名であり、城下には宣教師もいたわけですから、キリスト教に改宗する領民がいても不思議ではありません。 寛永17(1640)年、徳川幕府が「寺請宗旨人別帳」を作り、キリシタンの根絶を図るまでは、「切支丹」は伊那にいて、当たり前にキリスト教を信仰していました。
|