隠れ切支丹地蔵菩薩像
伊那市手良 清水庵(伊那谷のキリシタン遺跡)
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清水庵 寺伝によると、この地にはかつて京都及び播磨の清水寺と同一の霊木により刻まれた聖観世音菩薩を本尊とする養泰寺という寺があったが、天正10年(1582)織田信長の長男信忠の武田攻めの折、織田勢に協力しなかったため焼失。その折飛脱した本尊の聖観世音菩薩のために、元和2(1616)年に堂宇を再建し「清水庵」と改称し安置した、とあります。 |
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信州伊那に、隠れキシシタンの遺跡? 江戸幕府が開かれる以前の伊那の地は、伊那の東、高遠城の支配するところでした。これは幕末まで続きます。 |
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誰が、何故この寺に、ということは解りませんが、像の右手は失われているものの、胸のところに十字架が見て取れます。「観音様」は色々な姿に身を変えて、衆生の苦しみを救われると信じられています。その縁かもしれません、慈悲にすがって祈る伊那の隠れキリシタンの名残です。上の写真で見るとおり、寺は山深い中に囲まれ、当時も今も集落からは離れたところにあります。 |