分校館について
  • ご挨拶
  • スタッフ紹介
  • 御宿の歴史

かつて、山里の子どもたちが毎日通った分校を宿にしました。

ご挨拶

御宿分校館(おやどぶんこうかん)は桜の名所高遠から10kmほど山あいに入った集落のはずれにあります。70年以上前に建てられた木造の小さな分校を改装して宿にしました。

客室は四部屋だけ。家族で営む小さな宿です。今も分校当時の面影が残る木造の小さな校舎はどこか懐かしく、ゆっくりと時間が流れます。川の音や鳥の声、木々のざわめきなど季節の声に耳を傾けながら 思い思いの時間をゆっくりとお過ごしください。地のものを使った手作りのお料理も皆様に喜んでいただいています。

また最近は手芸や陶芸など、手作り好きの仲間たちと「部活動」を楽しんでいます。

四季折々に移り変わる山並みを楽しみながらどうぞのんびりお訪ねください。
心よりお待ちしています。


スタッフ紹介 家族で切り盛りしています

館主 東 隆 館主 東 隆

畑のこと、施設の補修や力仕事全般。大工仕事もお手のもの。

東 修子 東 修子

調理全般。宿の管理,接客、情報発信など。

東 麻希子 東 麻希子

接客、配膳、お部屋の準備など。


御宿の歴史

1.荊口分校の頃

「御宿 分校館」はかつて三義村(みよし村・現在は伊那市高遠町三義地区)の三義小学校荊口分校(ばらぐち分校)でした。昭和13年(1938年)、茅葺の分教場の隣にこの赤い屋根の新築の校舎が建ちました。

昭和40年、荊口地区の子供たちが通った分校は町村合併や児童数の減少によりその役目を終えましたが、その後も保育園や集会所として地区の人たちに親しまれていました。

茅葺の分教場

茅葺の分教場

昭和13年、新校舎完成

昭和13年、新校舎完成

2.いつもどこかが工事中!

昭和60年(1985年)、幼い娘を連れてこの地に移り住み、翌61年(1986年)早春、宿泊施設として開業しました。
教室は客室に、裁縫室は食堂・囲炉裏の間に、職員室は娯楽室になりました。今も分校当時の面影が残る木造の校舎です。開業当時からあちらこちらを改修したり、付け足したり。
いまだに分校館はいつもどこかが工事中です。

開業準備のころ。当初は「シニアホステル伊那高遠」という名前でした。
施設の周りに木製の柵を作りました。 娯楽室の壁塗り。

(左)開業準備のころ。当初は「シニアホステル伊那高遠」という名前でした。
(右上)施設の周りに木製の柵を作りました。(右下)娯楽室の壁塗り。

3.部活動と文化祭

手芸や木工、陶芸などささやかな部活動を始めてみました。懐かしい校舎の中で、手を動かしもくもくと作業をする時間は思いがけない楽しさがありました。

年に一度、秋には文化祭も計画していきます。

手芸部の作業風景手芸部ちくちく班のバッグ見本

(左)手芸部の作業風景(右)手芸部ちくちく班のバッグ見本

文化祭の日 木工部ではスプーン作り 美術部陶芸班ではカレー皿や植木鉢を制作

(左)文化祭の日(中央)木工部ではスプーン作り(右)美術部陶芸班ではカレー皿や植木鉢を制作

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