「現代日本社会と個人」
                            一橋大学名誉教授 
                             阿部 謹也 先生
センター研修報告  〜現代を生きる哲学〜      平成14年 6月17日
午後1時30分〜午後4時                           於 :教育センター
                         
                                 
        
 

○高校生の意識調査



 

 自分がだめだと思う(日本) 73%
          (アメリカ) 48%
          (中国)  37%
 
 
(原因)生きる個人が不明確
    教養(未知の世界に的確に対応していく力)や生きていく上でのモデルの喪失
                 ↓
          教養を高めようとつとめなければならない

大人になりたくない高校生 ・大人になる夢がない
将来に対する希望が見えてこない大人
 



 
         自分の人生を設計しなければならない

(中国語)…個人という概念がない  我々が生きている→これが人権→




 

・食べる
・飲む
・しゃべる
・子孫を残 す
 
(アメリカ・ヨーロッパ)…個人の生き方→人権
 
(日本人)…個人と言う言葉…明治17年からはいる 個人の権利 思想の自由 個人の思想の自由  … 個人の生存の権利はあまり言わない 


 

ホームレスに対するものは、日本国家は放置している
 
○「個人」と言う概念の中に「個人の生存の権利」がないのではないか
○社会との緊張関係としての「個人」ではなく「エゴ」としての「個人」
 

          (1)近代化システム(合理化)
           個人…文字(英語)・数字を通じて論理的

日本の近代化はもう終わりである。これ以上進めていく必要なし。先が見えず。
 
現代日本社会


 

進めていけば非合理になる。

 



 
          (2)歴史的・伝統的システム (世間)
           言葉・儀礼・義理・人情・宴会・贈与・報酬・年功序列 時間意
           識(共通の時間に生きる)
           自己主張すれば排除される。
           (世間の持っている強制力は強い)
ヨーロッパ的
自己「個人」は

この「世間」の中にしっかり「個人」を位置づけていくことが大事
 
個人の時間を過ごす
           ◇歴史的・伝統的システムが近代化システムを支えてきた
           ◇近代化システムに先が見えず、歴史的・伝統的システム(世間)            が再びのし上がってきた。

 個人として我々はどう生きればよいか。少なくとも残りの人生をどう生きるか。
 
 
ヨーロッパ文化
                 個人が生きる場が違う
日本文化
 
○個人が生きなければ「景色」はうたえず 万葉集は現実を生み出すための「呪歌」
 
 
                          景色と状況を作り出すための歌
 

◇人間は必ず死ぬ 死に損なった人はいない 死ぬまでの間何をするか
◇世間との距離をとり、対象化していく必要あり。
◇原理主義…絶対的な死を見つめるこれが大事

 

(感想)
私たち日本人が生きていく上で「世間」が非常に大きな力を持っていることがわかった。「世間」という窮屈なものとどう自分が立ち向かっていかなければいけないか。立ち向かっていくということは少し語弊があるかも知れないが、阿部氏の言われる「対象化」と言うことになるだろう。  世間の中で個性を埋没させてしまってはならないはずである。世間の中で個人の生き方を探って行かねばならないと思う。一番良いのが「自分の死を見つめて生きる」と言うことであろうが…残りの人生を自分はどう生きなければならないか。さらに考えさせられた。      14.6.24