演題 「弱くある自由へ」
講師紹介
1960年生まれ。社会学を専攻。1990年東京大学大学院博士課程単位取得退学。現在信州大学医療技術短期大学部助教授。
主な著書に、『私的所有論』(勁草書房)、『弱くある自由へ』(青土社)、共著に『生 |
の技法 |
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家と施設を出て暮らす障害者の社会学 |
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増補・改訂版』(藤原書店) |
など。現在、『思想』(岩波書店)に「自由の平等」、『環 |
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歴史・環境・文明』 |
(藤原書店)に「国家と環境について」を連載中。
URL http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm
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○私は、学校へ行って勉強していても「おもしろいと思ったことはない」こんな事をやらなければならない社会は不思議である。これがきっかけで社会学に興味を持った。
○「つまらないことばかり詰め込まれてやっぱりつまらなかったぞ」と言うことがあった。○今の教育の現状はどうなのか。今の教育で、いいという人は余りいない。100点つけるひとはいない。何か変えなければ…。どうやったら変えたことになるのか。
○信州大学医療技術短期大学部の入試面接試験で「入試をどう変えたらよいか」というテーマを出してみた。学生達は、「人間性というものを評価していない 」というようなことを言っていた。しかし…。面接では結局ほとんど区別はつけられない。選べられない。人間性が大切だと言うことはわかるが人間性が見られるのかという疑問が生じる。
議論しなければいつまでも続く。わだかまっている不満。
選ぶと言うことはどういう事なのか。
人間性は大切だ。否定するつもりもない。しかし、学校でこのことを評価することになる。これは別のものであると考えた方がよい。引っ込み思案…人間性が劣っていると言えるのか。コミュニケーションスキルは大切だが、場所場所によって違ってくるものだ。
学校の中での「人間性」の評価は余りにも危険すぎる。学校は「たかが勉強を教わるところ」「社会の一部である」と割り切る事も大切。しかし、何か生徒が悪い子としたら、先生や校長が出てきて謝ったり、余計なことをせざるを得ない。学校はどこまでやればよいのか。学校の身を軽くすることが大切ではないか。論述型の問題で、貴方は○年間何を考えてきたのかということを図る問題を作ることも容易ではない。小論文の試験がどれだけ使えるのか怪しい。
結局大学入試もそんなに大きく変えられないぞということに落ち着いてしまう。学校と社会の関係について考えないとこの問題はとけない。
○学校で多少の苦労をして勉強する事の意味が社会とうまくつながっていない。高校や大学は勉強したいわけではないが、行っておいた方が徳。学校が仕事に就くための通過点になってしまっている。学歴社会であるとずっと言われてきた。何でこんな仕掛けになっているのかと言うことを教師は子ども達の前で説明をしなければならない。
○実力主義の社会、より競争原理に基づいた社会
そこで求められている実力と学歴とは大きな違い
○学歴主義は存在していないようで、未だに存在せざるを得ない。なぜか。
会社の人事担当…ちゃんと我が社で働ける人が本当に選べるのか 実際に働いてもらわないとわからない 選択する手がかりが何もない。そこで学生の場合は、どこの学校にいた、勉強はどのくらい出来たか、に頼ってしまう。これからの働きに全く関係のないところを見るしかない。まあ、じゃんけんよりもまし。その結果、「じゃあどこの学校に行ったの」に落ち着いてしまうのだ。 困ることは、今学校でやっている勉強が社会とぴったりと結びついていかないこと。その結びつかないことを小・中・高とやらねばならない。何かすっきりしない。
○学校は勉強したい、と言う人が本来的に来ることが望ましい。しかし、会社が人材を選択するとき、学歴以外に指標となるものがない。
となると、学校で何をしてきたか、どこの学校を出たのかと言うことで、先の就職も決まってしまうのである。
学校は学校、仕事は仕事と割り切って考えた方がすっきりする。
○学校は社会の選抜のためのシステムとして容認されてきた。人間はどこかで勉強したくなるもの。現場の社会のことを全く知らない学生達に、社会学を教えるのは難しい。社会へ出なければ、社会の不思議さや疑問もおこってこない。
○実社会での能力主義…何かものを発見した。報償→当たり前の近代社会 業績原理
実力によって決まるのがよい…良いことだと認める社会
このことが気になる 出来高に応じて報酬も上がる 正しいと言われている(ロック・カント・ヘーゲル等)本当に正しいことがこれらの哲学者は論じていない。
能力主義が正義だと言える根拠はない なくした方がよい。
仕事の出来る人は…取り分が増えるのでよい
しかし、仕事の出来ない人にとってみれば、良いことではない。取り分が少なくても仕方ない。 これが現状の社会の姿。→労働力の質の向上のために
○みんなやるから出来るようにならなければいけない。社会でやっていけないのだ。
この発想ではむなしい。
○できる・できない→社会の基本的作動
今や生産性は向上 4人で作ったもの1人でも作れる 人が働かなくてもよい社会
楽になった社会 少子化・高齢化→人が言うほど大変ではない
↓
人手不足
リストラで人を減らしている 人が余っているということ 高齢化社会
基本的には足りている。
○ドイツ 失業率 10%を超えている 100人暮らすために90人働けばよい。
人が余る→新たに仕事を与えようとする→うまくいかない
このやり方に大衆はあきてきている。
○仕事の出来ない人へは所得保障 生活保障
○仕事の出来る人は自分の仕事を減らす(収入も減るが)
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こちらの方がよい。
努力すれば出来ると言う言い方は無責任な言い方である
学校は、「考える力」を弱めさせていっているのではないか
感想:社会と学校についての関係についてなにかすっきりしたような感じがした。できる、できないと言うことに目がいってしまうが、努力しても出来ない子がいると言うことも知っておく必要があると思った。そう言う子ども達が安心して働き、生き甲斐の場が持てるようにすることも社会が行う義務であろう。
学校と社会が乖離している現実をみれば、立岩先生の論法も一理あるなと思った。
学校は純粋に学問する場であると割り切った方がよいのかも知れない。
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演題 「自然・風土・歴史」
◆ 講師紹介 哲学者 内山 節(たかし)
講師紹介
1950年東京生まれ。哲学者。
主な著書に、『里の在処』(新潮社)、『戦後思想の旅から』(有斐閣)、『時間についての十二章』(岩波書店)『自由論』(岩波書店)『山里の釣りから』(岩波書店)など多数。 東京と群馬県上野村との二重生活。村では畑作り、森づくりなどもしている。
また、森林ボランティアのネットワーク組織であるNGO法人「森づくりフォーラム」の代表理事などにも携わっている。
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1.はじめに 山村の動物たちと村人について
○村の生活 動物の被害多い イノシシ 毎年100頭捕獲 撃っていてもなかなか減らない 畑の作物食い荒らされている 高齢者 年金生活者が多い 春〜秋にかけてのイノシシの肉はまずい 撃った以上は利用することで気持ちを納得させる 自分たちの行為がイノシシを増やすことになっていったのではないか 村…村の人たちにとっては自然との空間としてとらえている だから自然空間は有効 自然界を生きている イノシシ・鹿・猿…害獣であるが、共に暮らしてきた仲間としてとらえている。
2.自然とは何か
自然と自然、自然と人間が交通する世界の中に
展開する自然の世界について
3.地域、村とは何か 自然と人間が共に暮らす空間
1965年(昭和40年)狐にだまされた話は終わる 人間は狐にだまされなくなる 1955年以降 高度成長期 昭和50年後半 テレビの普及 1965年 100% 人間の業や知恵→消費する時代 1965年 高校へほとんどのこが進学 子どもを見る目も変わってくる。
高学歴社会の到来 教育内容の変化 1955年 日本の森林変化 天然林を切る 針葉樹林が多くなる(カラ松)年取った狐がいなくなる
山の中に蛇がいなくなった イノシシはマムシが好き ガマがえるもいなくなった 百合が咲かなくなった 自然界にとって人間に足を入れてもらいたくない 人間が昔のように自然を利用しなくなった 使うことによって維持されてきた自然あり。 もうきん類(鷲など)えさ場の確保が出来ていない 人間達が意識していなくても、森の状態を変えてきている。 自然を変えてきている。 動物たちも生き方を変えてきている。村の境には道祖神がまつられていた。これは村に入ってくる悪霊を追い出すため 人間社会…傲慢 人間と自然が暮らしている社会であることを忘れない
4.風土の成立と時間の蓄積 継承されていく営みの中で
現在日本語で使っている単語は欧米の翻訳語が多くなってきている 明治20年〜30年には個人・権利・自然という単語はなかった 自然(じねん)と読んだ 意味としては、自然の成りゆき・自ずから…こういう使い方をしてきた。 自然界と人間界とに明確な区別はなかった 自然→森羅万象(しんらばんしょう)天地 で自然という言葉を持たなかった その当時自然と人間は一つの世界を作っていた。しかし→私たちの発想を変えていった(欧米型思考形式)…風土・自然がわからなくなった 見方が変わってきている
足下の立っている世界はドンドン見えなくなってきている 風土…自然 人間の時間の蓄積を継承できにくくなっている 例えば村の鍛冶屋が無くなってきている 家々の鎌が違っていた →こういう世界が消えていった
5.風土と「精神の習慣」の関係について 「思想のローカル性」について考えながら
私たちは思い違いをしてきた。大きな世界で生きなければと地域を捨てて都会へ出ていった これがスケールの大きな生き方だと しかしこれは違う。大きな世界へ出る…薄い世界 小さな世界…深みのある世界 狭い世界を大事にしたい
世界で通用する思想は薄っぺらだから通用する ローカルであるほど深い
○自分達の知っている世界が世界だと思ってはいけない
アメリカのテロ多発事件…アメリカが標的にされた アメリカ自身反省しないのか 覚えがないのか アメリカは正義なのか
自分達が普段つきあっている世界は本当の足場(風土・文化)を持っていない
外には、私たちと違う世界や文化がある。
6.風土と「土地の記憶」 土地の記憶と地域に累積された歴史
人間は、自分達の知恵や技・歴史の蓄積された風土にどうかかわっていったらよいか。自分は世界を、自然をどういう目で見ているのか。自然の世界へ学べ。 自然教育の大切さ
→ 総合学習 …自然と共に学習していく視点を持たなければならない
欧米…人間中心的な発想 自由…要求 人間の権利 →自分自身を問われにくい言葉
自在(気ままに)に生きることが大切
他の人にはまねが出来ないような技を身につける 生きる場所を作る
7.国民国家の成立と「記憶」の一元化 歴史の多様性、多層性を考える
8.自然、風土、歴史を喪失した人々と現代社会 自分が存在する位置がわからなくなった不安の中で
歴史の中で生きる 時間の蓄積 現在何をしていったらよいのか(地域のお祭り、地域でやってみよう)20世紀は矛盾なき社会を目指してきた。その結果、自然破壊、技も力もない人間が増えてきた。 今、世の中に矛盾なき社会はないということに気づいた→これを抱えながらどう自在になるのか。 何をしていったらよい地域になるのか。 100年後のことを考えて今どうするという発想が乏しい。 世界規模で見ること優れている→これはまちがえ 小さい世界と外の世界との交流を通すことが大切 小さい世界から大きな世界を見る目が国際交流につながる 足場のない人は国際交流はない
感想:私たちの見方や考え方が一元化されている。足場(文化・風土・自然を含んだ世界)をよく見ていく事を痛感した。日本の良さ、すばらしさを再度自分でも確認したいと思った。小さな世界(村、町などの地域)をどう復興させ、目を外に向けていくかと言うことが課題のように思った。教師は、しっかりとした足場を持っているのだろうか。もう一度考えてみたい。
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