善福寺ぜんぷくじのキリシタン遺跡(?)

長野県駒ヶ根市大久保

  駒ヶ根市東伊那の大久保という所に「善福寺」というお寺があります。「神寶山善福寺」
 至徳元年(1384)に石湖禅師を請じて開山。臨済宗妙心寺派に属すお寺です。『上伊那町村誌』には、寺の規模を「東西四十一間、南北十六間、面積六百五十七坪」とあります。ごくごく普通の大きさのお寺ということでしょう。このお寺の、写真では向って左手の山中に三十三観音が祀られています。

 この東伊那という所は、キリシタンの類族として処刑された「僧 丹瑞」の住した蔵沢寺のある中沢郷と同じく、武田信玄から明治の廃藩置県に至るまで高遠(高遠藩)の支配地でした。その蔵沢寺にも立派な石積みがありましたが、こちらの石積みもなかなか立派なものです。
 三十三観音へは、こちら石積み側ではなく、正面山門を入って左に案内の標柱と、一番「如意輪観音」像が出迎えてくれます。
 この三十三観音は、江戸時代文政の頃を前後に成立したのではないか、といわれています(こまがね探し隊HPより)。

 さて、問題の十二番「十一面観音」像です。
 十一の面に人々の苦しみを救う力を秘めた観音(『佛教語大辞典』中村元著)様ですが、『佛像図鑑』には「十一面四手」としているがまた「持物相違せり。其他此の尊の像容は、種々の異様あり、一定せず。」とも記している。
 概して、野の石仏の形は一定ではなく、場合によって施主の希望により、ある程度自由に解釈され石に刻まれるものでもあるが、この観音様は大分異様である。左の写真は全体像です。
 

 まず、八手の中の左第一手が持っているものに注目すると、これは「十字架」以外の物を考えることができない。
 先の『佛像図鑑』には一手に蓮華を持つようになっているが、この観音様は蓮華を持たず、どちらかというと武具のような物をお持ちである。右二手は斧であろうか右第三手は弓、それに応ずるかのように左第三手には矢をお持ちである。

 さらに、観音様の衣の間には、なんと子供の姿が見える。これは、慈母観音や子安観音ではありません。
 この寺の三十三観音のうち施主(願主)等の銘があるのは8体。その内の一体がこの像です。
  銘に「田原村石屋重郎左衛門」
 田原村は、現伊那市東春近田原といい、かつては同じ高遠藩の支配にあり、キリシタンの類族として処刑された僧丹瑞の母の最初の嫁ぎ先がこの田原村でした。
 キリストを連れたマリアの像にも見えたのですが、どうでしょうか?