母猿の身投げ
(伊那市東春近殿島 渡場)
物語とは関係ないと思いますが |
母猿子をうしなうて水に没す(『新著聞集』)
信州下伊那郡殿島の百姓、猿を親子飼けり。或時、夫は野に出て、妻は洗濯せんとて、灰汁を焼、熱灰ともに桶に湛へおきしに、かの子猿、桶のうちを窺ひ見るとて、桶のふちにあがり、熱湯の中にはまりて死しけり。親猿、これをみて、甚泣きかなしみける所へ、夫、帰みて、汝が子を慕ふ不便なれ共、人の所為ならねば、是非なき事とおもふべしと教訓しければ、親猿、そのまゝ鍋の蓋をもち来り、桶に蓋してけり。かくすれば、はまらぬ物をよと教ゆる心にや。亭主あまりに哀に覚へ、今より後、いとまとらするぞ。山に帰れと云ひしかば、恨しげに死たる子猿を抱きて、出行きしを、不審くおもひ、跡より見おくりければ、山のかなたへはゆかで、殿島河原にゆき、橋の半にいたりて、子を抱ながら身を投げて死けり。畜類として、かく迄子を慕ふ道に迷ひけるとて、猿のぬしをはじめ聞人ごとに、袖をぬらさざるはなかりし。(「日本随筆大成」『新著聞集』所収による。文のまま) |
殿島橋は、伊那街道と高遠道を結ぶ橋として、古くから架けられていたようである。橋のたもとが整備され、そこに高遠藩のころに建てられたという、道標を兼ねた「岐神(道の分岐点などに祀られる神。悪霊の侵入をふせぐために祀られた。)」の碑がある。 |
|||
|
|