六道の堤
高遠藩7代藩主内藤頼寧よりやすは、領地六道原の開墾を計画し野笹村(現伊那市高遠町長藤)から藤沢川を引水、鉾持桟道の山腹にトンネルを穿ち、六道原までの水路を開削した。嘉永元年(1848)3月に着工、同じ年10月25日竣工、26日通水。この工事の途中地元村民の陳情により「六道堤」の建設が謀られ、嘉永4年9月に竣工。 なお、「末広(伊那市美篶)」地名は、藩主頼寧が名づけたと伝えられている。