六道地蔵尊ろくどうじぞうそん六道ろくどうもり

六道の森 遠景

六道とは
 衆生が業(意志にもとづく生活行為)によって生死を繰り返す六つの世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の六道をいいます。
地蔵菩薩は
 お釈迦様没後から弥勒菩薩が成道するまでの間の無仏時代の間、衆生済度を付嘱された菩薩様だそうです。無数の分身に変化して衆生を済度するので、千体地蔵とも称せられるようです。
六道原
 この一帯は、古くは「あだし野」「あだし野原」あるいは「六道原」とも呼ばれ、平安時代の「笠原の御牧」の跡ともいわれています。
 下って、日中戦争から第二次世界大戦へと進む中で、この場所近辺に大日本帝国陸軍航空隊(?)の訓練飛行場が敗戦の日まであったそうです。

 由来書きの看板です。ただ、文中「診皇寺」とあるのは、小野篁の説話が取られていることから、京都六道の「珍皇寺」のことではないかと思います。
 小野篁は、説話によると、閻魔大王の臣下の冥官で、毎夜この六道珍皇寺の井戸から閻魔庁に行き、朝になると嵯峨の清涼寺横の薬師寺境内の井戸から現世に帰ってきたそうです。
 右図は、江戸時代に描かれた『高藩探勝』という絵巻に描かれた、六道地蔵堂です。


『高藩探勝』より「六道野経」
地蔵堂全景
祭礼

 お祭りは、今は8月6日に、上川手・下川手の老人会の人たちが中心になって行われています。特に、この年新盆を迎える家では、「霊迎え」といって、必ず参拝することが慣わしとなっています。
 お詣りをする人は、お札と松の枝に白い紙を巻いたものとを買います。この松の「ほえ(新梢)」に新御霊がついて、家に行くのだ、といわれています。
 昔は、この地蔵堂の祭りには、高遠藩から御出役が二人出ていたということです。

地蔵堂内部
域内 賽の河原