昔 むかし の お話し


真菰ヶ池の鴛鴦おしどり 

富県村(現伊那市富県)貝沼の鴛鴦山東光寺えんおうざんとうこうじというお寺の下に昔は小さな池があったそうです。その池の名を真菰まこもが池」と呼びますが、物語が伝えられています。
『木の下蔭』より
 貝沼村往昔貝沼何某といふ人住みけり。ある時狩に出て池に鴛鴦のたはむれ遊ぶを、弓にて雄の首を射切りたり。其後、其雌を射殺して見れば、初め射たりし雄の首を羽がひのうちにはさみ居たり。是を見て発心し出家を遂げ、則此所に草庵を結びて跡を吊ふ後寂す。鴛鶯院殿東岳玄光大居士といふ、年號知れず。これより世に草庵を継ぎて、此玄光居士を開基とし山を鴛鴛山といひ、寺を東光寺といふ。鎌倉より法燈國師來りて一寺を建立すともいひ、順慮和尚慶長三戊戊年開基ともいふ。寺に傳ふる傳記もなく開基不詳。いづれ往古より草庵にて、其後漸く平僧の一寺となる、此時開基順慮和尚慶長の頃と見へたり。中頃祖随和尚といへるよりして色衣地となりたり。初め福地村金鳳寺の末、後峯山寺の末となりたり。
 鴛驚を射たりし池を眞菰池といふて、今もその形ばかりの小池あり。四方女竹の大藪にして、めぐれば十六七町に余りて、案内なければたやすく入り難し。古歌あり
    日暮れなばいさとさそひし貝沼の眞菰が池のをしの独寝
 いづれの世に何人の詠ともしれす云傳ふるのみ。貝原篤信の著和爾雅にも、所不知の名所のうちに眞菰が池とあり。此池の事にや。(注:貝原篤信の『和爾雅』には、「未勘在何國」の名所中に、「甲斐沼池カヒヌマノイケ」という名がみえる。)


真菰池(「高藩探勝」より)
春近大橋の橋飾(鴛鴦)

鴛鴦山東光寺

真菰が池の跡
 


 
 昔話