天伯社てんぱくしゃ (さんより こより)
村社 社地東西19間半、南北17間4尺2寸6分、面積345坪、本村(伊那市川手地区)の西にあり平地にて田間なり。祭神棚機姫之命にして、祭日は9月7日(現在は、8月7日に行われています)。(以上『長野県町村誌』による。( )内は私) 伝承によれば約600年前、室町時代応永34年(1427)高遠町藤沢片倉にあった天伯様が洪水により流され川手の対岸桜井村に流されてきました。さらに、この天伯様は再度の洪水により川手村に流れ着き、これを縁に川手村・桜井村の両村でおまつりした、というのが始まりのようです。 祭神棚機姫之命は、『古事記』上巻に、荒ぶれた須佐之男命の乱暴に驚いて死んだ天服織女のことかと思われます。 曰く、「天照大御神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時、その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎて堕し入るる時に、天の服織女見驚きて、梭に隠土を衝きて死にき」(『古事記』)
古い書物の記述によれば、この祭のあらましは次のようです。 例祭に村内人民、願望成就のため破笠を被り、縋々の衣服を着し、太鼓を打つ。歌に云「サイヨリコヨリ菜がなくば糟(糠)味噌」と唄ふ。児童七夕のナヨ竹を持ち、打擲すること三度、暫時ありて社宮指揮し神輿を駕し、三峰川を隔て、富県村の内字片倉に鎮座す天伯社社へ渡御あり。又土俗言伝ひに、棚機姫を祭るに仍て、絹木綿の別なく竹に巻き、神前に備ふること等今行はる。(『長野県町村誌』) 「さんより」という掛け声の意味は、「さあやれ」という催促の意味だという説と、「災遣り」つまり災を遣り払う、という説とがあるが、定かではありません。