しおみち 伊那街道いなかいどう 伊那部宿いなべじゅく

三州街道(伊那街道)

 中山道の脇往還として江戸時代に盛んに利用された道。三河・尾張・信濃国の三つの国を結び、中馬(街道を通して、馬を変えない方式)により物資を運んだ。
 中山道の塩尻宿で分岐し、伊那平・伊那谷をくだり、杣路峠を経て三河足助を経由して岡崎にいたる街道です。三河尾張からの綿や海産物、遠く瀬戸内の塩が信州に運ばれ、信州からは煙草等が名古屋に送られ、また、善光寺やお伊勢参りの人が往還した。

伊那部宿(北から南を望む)
伊那部宿の由来

 伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻宿の中間に位置し、ここから高遠城下を経て甲州街道へ、また権兵衛峠を越え中山道へ通じる交通の要所であった。
 (中略)
 宿場の概要は南北の延長330米、南北夫々の出入口は枡形構築がなされて外的の侵入に備え、北に十王堂を建てて魔除とした。町の中央には長桂寺が位置し、門前に高札場があった。本陣と問屋は東側に配置され、街路の中央に角川があった。旅篭や店は道に接し、奥に土蔵を配置した。(以下略)
(以上は、左下写真「由来書」による)

伊那部宿由来書
井澤家住宅
 

宗良親王の歌碑

(建碑の経緯についてはこちら↑
 井澤家住宅を道なりに下るとすぐ右側に「宗良親王の歌碑」があります。その由来を書いた説明版が、下の写真です。