親縁山無量院満光寺

〈伊那市高遠町〉

 『木の下蔭』という書物には
一當寺閉基のころ満光寺といふ中頃鳥居家の領主の時分老職高須源兵術願の因縁あつて浄土寺と.改む其後又十四世遣譽和
尚昔の満光寺と再び改む
とあって、一時「浄土寺」と呼んでいた時期があった。本尊は阿弥陀如来。境内に「極楽の松」と言われる黒松の銘木がある。

   
   

 昭和13年(1938)4月1日の「国家総動員法」第8条の

    政府は戦時に際し国家総動員上必要あるときは勅令の定る所に依り総動員物資の生産、修理、配給、譲渡其の他の処分、使用、消費、所持及移動に関し必要なる命令を為すことを得(現行漢字に改め、送りを平仮名に改めた)

という条文に基づき、昭和16年(1941)8月30日「金属類回収令」(昭和18年改正)が勅令された。これに基づいて鐘楼門に吊り下げられていた鐘も供出され、鐘楼門のバランスを図るため、その身代わりとしてかつて鐘が下げられていた場所に石が吊り下げられた。この時の身代わりとなったのが、左図の石です。