大宝山建福寺

(伊那市高遠町)

 

 建福寺は鎌倉時代の建長年間に鉾持山乾福興国禅寺として開創。後この地を治めた保科氏の菩提寺となり、大宝山建福寺と改号された。臨済宗妙心寺の末寺。
 寺には武田勝頼の母諏訪御料人の位牌と、本堂の西隣にその墓がある。
 また、本堂向かって右側に仏足石碑がある。

 
 
 

武田勝頼母の墓
 

武田勝頼母の墓
傍らの杉の根元の菩薩像
 仏足石
 天保6年(1835)2月 奈良薬師寺の仏足石を模して建立されたもの。
 

全景


碑面 
 独鈷の池

 寛元4年(1246)唐僧大覚禅師(蘭渓道隆禅師)が鎌倉に建長寺を建立、その後各地を行脚、やがて伊那郡鉾持村、文覚上人加持のこの独鈷の池で、忽然と現れた白髪の老人に寺社の建立を請われると苦心の末、鉾持山乾福興国禅寺を開創。つづいて一社を造営、鉾持大権現とされ、この地方の人びとの深い信仰をあつめている。(以上、案内板による)


 
独鈷の池


岩に刻まれた菩薩像 
  建福寺はまた、石仏の寺でもある。

西国三十三所観音(石段左)
 

楊柳観音(石段右)