荒井の富士塚(附:伊那の富士塚)

(伊那市荒井)

 『竹取物語』終章。かぐや姫が残していった手紙や不死の薬を入れた壺を勅使に携えさせ、駿河の国にあるという「最も天に近い山」の頂で燃やさせた。それより後その煙が雲の中に立ち昇り、山の名を「富士の山」と名づけた、という。
 古来より、富士山は信仰の対象でしたが、その山の登ることは難儀でした。そこで、江戸時代になると、富士山に似せた塚を築きあるいはすでにあった古墳を代用し、富士山の代わりとするようになりました。 これが「富士塚」と呼ばれるものです。
 拙宅周辺の富士塚を紹介します。

 
伊那市荒井の富士塚

塚の中程にある石塔
左の石塔には戒名らしき文字がある
 
南箕輪村神子柴
  南箕輪老人ホーム裏


高さ:目測5m以上

   頂上に木造の祠とお鉢あり 
 
伊那市美篶上川手

高さ:1m少々

   頂上にお鉢の跡と見える窪み

 地元の古老の話によると、昔は「浅間塚(せんげんづか)、と呼び慣わしていた 」とのこと。

 

伊那市美篶笠原
 木が生い茂っており、判別が難しいにですが、頂上にお鉢の跡と思われる人工による大きな窪みがあります。 周囲一帯が「富士塚」という小字地区ですが、土地の高齢の方にうかがっても「富士塚」は知らない、ということで、木立の中で風化してしまうのかもしれません。 

 

伊那市西箕輪羽広
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 こちらも、笠原の富士塚と同じく、人工により土を盛り上げたような形状が残るのみです。
 近くに、「御射山大社」跡があり、石碑がありました。
 

駒ヶ根市東伊那 山田富士塚
説明板によると基底部の直径は21m 高さ7mとあります。
塚自体の形は御子柴の方が整っているようにも思いますが、池が付属しているのは珍しいと思います。