『上伊那郡史』(大正10年(1921)発行)には、
傳ふる所によれば、創立年月詳かならざれども、昔より臨済宗大應山観慶寺と称し来りしに故ありて廃寺となり、転じて曹洞宗龍勝寺末となり、間もなく又転じて臨済宗建福寺末となり、堂宇を再興しれり。此の時の開山江月和尚は建福寺六世徳岩和尚の法孫なり。
と、記載されています。霊應山圓通寺という禅寺で、守屋貞治作の石仏が、本堂の前庭に建っています。
こじんまりとした境内ですが『木の下蔭』によると、本尊の木彫りの「聖観世音」像について、「尊像者行基菩薩所刻而霊験甚多無所不應」と記している。 |