碑陰記(字体を可能な限り新字体にあらためてあります)
夫仏足之為跡伝聞印土往々有之矣支那乗域者少有聞也釈尊
成道記曰足底離地四指千輻輪相印地分明云云於大唐曩昔自印
土伝写現有之趣熟耳底愚未其時世而己本朝南都之精舎
自大唐模来正衆人所見聞然矣近来□□金剛鐙寺自南都伝刻
仏足石成今此足跡従勢州之模刻□□邦君垂聴頓賜一大石
以充其用老臣忠輔随喜有余□□□成功更令義則筆其倭
歌悉皆欲教末世衆生結勝縁者□□天保第六龍舎乙羊二月
十五日円成遠命予鎮座供養尊□国土豊楽不期而来内外
災殃不攘而去
再住妙心八十翁実門謹誌 前玉鳳見住比丘至真敬書
意訳)
夫、仏足の跡たるや、伝え聞くに印土に往々これ有り、支那の乗域には有ること少しと聞く也。釈尊の成道記に曰く、足の底、地を離るるとき、四指、千輻輪相、地に印つくること分明なりと云云。大唐に於ては曩昔自ら土に印つくりて伝え写すと、現に之れ有る趣、耳底に熟せり。愚、未だ其の時世を審にせざるのみ。本朝南都の精舎、大唐より模し来たる。正に衆人の見聞する所、然り。近来(勢州)金剛鐙寺、南都より伝え刻して仏足石成れり。今此の足跡、勢州よりの模刻□□、邦君聴を垂れたまい、頓に一大石を賜いて、以つて其の用に充つ。老臣忠輔、随喜すること余り有り。□□□功を成す。更に義則をして其の倭歌を筆かしむ。悉皆末世の衆生をして勝縁を結ば教めんと欲する者なり。□□天保第六龍は乙羊に舎る二月十五日円成す。遠く予に命じて鎮座供養せしめ、尊ら□国土の豊楽期せずして来たり。内外の災殃攘ずして去らんことを。
再住妙心八十翁実門謹誌 前玉鳳見住比丘至真敬書
参考:加藤諄著『日本仏足石探訪見学箚記』 雄山閣
高遠町教育委員会編集『信州高遠の碑』 |