J−plus 運命の出会い
|
J−PLUS バンド名の由来 そして、メンバーとの出会い・・・
|
よくJ-plusのJは代表M澤の名前JUNのJですよね? と聞かれるのでここで誤解を解くため説明をさせていただきます。 どうでもいい事なんですが、長い話になるので気になる方だけご覧ください。 まず、J-plusのJの字は、前身となるバンド名から始まっています。 25年ほど前になるでしょうか、「じしん」というあだ名のリーダー率いるJISHIN-BANDというバンドがありました。 ある夏の日、ライブイベントがありM澤ことJUNは他バンドのサポーターでGUITERを弾いていました。ここに「じしんリーダー」がライブを観に来ていました。 当時 JISHIN-BANDには専属のベーシストがいないため、探していたようですね。 この日「じしんリーダー」はビビビ・・・と何かを感じ、JUNに「うちのバンドでベース弾かない?」と声を掛けました。 JUNはギタリスト、しかし高校1年の時バンドを組もう、ギターかベースどちらかを選ぶとき、じゃんけんで勝ったためギターを弾くことになっただけで、ベースもやってみたいなあと思っていました。 また、サポーターで演奏していたJUNは、とりあえず定着したバンドに入り、演奏したかったため、即OK! JISHIN-BAND加入する事に。 実はこの JISHIN-BANDには、固定のドラマーがいないため、リズムマシンを要所要所で使用しながら活動しているバンドで,これがなんとな〜く締りのないバンド。 2・3年後、知り合いに、上手いドラマーがいないかな?と聞いたところ、「大学を卒業してこの春、丁度帰ってきたドラマーがいるよ」との事。 早速会って話をしたところ、CASIOPEAの神保先生を崇拝するフュージョン大好きなドラマー、音楽の方向性もほぼ同じ、新メンバーとして迎える事になりました。 この人こそ「YOSHI氏」でした。 運命の出会いです。 この頃、JISHIN-BAND=自信があるバンドのようなイメージであったため、J-BANDに改名。 時々ドラムを叩いていた者はベーシストとして固定したためJUNはギターに復帰。 しかし2・3年後解散。 YOSHI氏、JUNそしてSAXの3名で新ユニットを結成しようとメンバーを募ったところ、とあるフュージョンバンド解散したとの情報を得、連絡したところとりあえずセッションだけでもしてみましょうとの話でまとまる。 後日セッション、即意気投合・・・さて、バンド名はどうしよう?「T−スキーウェア」なんてのはどう・・・でもJ-BANDのJは残して、2名加わったので J-plus はどう? 全員一致でok! ここで、ようやくバンド名 「J−plus」 となったわけです。 この時メンバーに加わったキーボードは、なんと高校生、しかし超絶テクニック!この時本当に驚きました。 このキーボーディストこそ「HIDE氏」、運命の出会いでした。 3年後メンバーのベーシストが転勤のため引退、ベーシスト不在となってしまいました。 ここで、以前 HIDE氏と一緒にフュージョンバンドを組んでいたギタリストをベーシストとして迎える事に。 (ギタリストをベーシストに???) 理由を聞いてみると、元々BASSの音が好きでBASSを希望していたものの、上手いギタリストが見つからず、自らギタリストとして活動していたようです。 まさにこの人こそ「MASA氏」でした。これもまた運命の出会いですね。 2年後、メインとなるSAXが辞めてしまったため、どうしようか検討していたが、いっそ4人でいいんじゃないのかなあ・・・となり早いものでカルテットの4人組で17年程が経つことになります。 こうやって振り返ってみると、最初からのオリジナルメンバーはJUNのみ、ということになりますね。 さて、今では、昔からの夢だった「フルオリジナル」でのライブを行うことまでできました。 お互いを尊敬しあい、妥協はせず納得のいくまで話し合いし、厳しい中にも良いサウンドを求めながらの楽しいバンドとして活動をしています。
脳味噌フル回転で演奏している状況ですが、楽しく演奏、ついでに踊る? 超楽しいメンバーです。 今後ともよろしくお願いいたします。 |